1月29日か昨日まで若狭の方に旅行をしていました。
29日に訪れたのは敦賀港。行ってみたかった「人道の港 敦賀ムゼウム」
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1940(昭和15)年ユダヤ人難民たちはナチスから逃れるために、リトアニアの日本領事館に日本通過ビザを求め押し寄せ、杉原千畝領事代理は、悩んだ末外務省に背いてビザを自分が出国する1か月間2,139通発行しました。しかし、これは外務省に報告した分で本当は、もっと多かったようです。このビザを持って敦賀港に上陸した人は6,000人近かったようです。生き延びた人、その子孫は6万人だとか。

ビザ発券の理由は、人道・博愛精神第一だから。

杉原千畝記念館ホームページの晩年の手記から抜粋すると「浅慮、無責任、がむしゃらの職業軍人グループの対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から永遠の恨みをかってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にビザを拒否してもかまわないのか、それが果たして国益にかなうことだというのか。苦慮煩悶のあげく、私はついに人道・博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐れることなく職を賭して忠実にこれを実行しおえたと、今も確信している。」

1945(昭和20)年ブカレスト郊外の捕虜収容所に収監、1947年(昭和22)年2月帰国、6月に外務省を退官。1986(昭和年61)年死亡。名誉が回復したのは生誕100年にあたる2000年。40歳にビザ発券、86歳に亡くなられ、その間不遇の時期もあったのを想うと美談で片付けていけない強い信念、使命感を感じます。

ちなみに私と同じ出身大学。私も信念を通して生きたい。


 しお風 神保智子