吾妻神社は、吾妻山公園の展望台下に位置し、梅沢地区の氏神で、弟橘媛命(オトタチバナヒメ)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀っています。
現在でも縁結びの神様として信仰されています。
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日本武尊が東征の途中、三浦半島走水から海路上総に渡ろうとすると、突如として暴風が起こり、妻の弟橘媛命は海神の怒りを鎮めるために海中深く身を投じました。その後、今の梅沢海岸辺りに櫛と小袖が流れ着き、上ノ宮(吾妻山山頂)に櫛、下ノ宮(ちさんの澤)に小袖を埋め、弔ったと言われています。
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昨年三月、吾妻神社の全貌がわかる古文書が発見されました。
その中で、昭和5年に現在の建物である吾妻神社設計図が完成したことがわかりました。
伊東忠太設計図

これは、後世に残る立派な神社建物の建造と社格(神社の格式)昇進悲願達成のために『奉賛会』を結成し、幅広く寄付金等を集め、大幅な建て替えを行ったからです。

そして、その設計をしたのが、明治から昭和にかけて活躍した著名な建築家「伊東忠太」です。例えば、平安神宮、明治神宮、築地本願寺などを設計しています。日本・東洋古建築を学問的に体系づけた最初の人で、国宝保存会委員として文化財の保存に尽力し、文化勲章も受章しています。

天平時代には、神像の本地仏手観音を僧「行基」が神託を得て納めています。鎌倉時代には源頼朝、北条政子、実朝等の崇敬を受け、吾妻山全部と山麓の田畑、塩見の塩田などの寄進を受けました。

1883(明治16)年1月には「吾妻神社奉納和歌額」が奉納され、この大型木版額には次の15名の方の和歌が書かれています。(上野充國謹書)
この木版額は、今も拝殿内に飾られていますが、文字はほとんど読めない状態です。
有栖川宮 熾仁親王(アリスノミヤ タルヒトシンノウ)2首
従一位太政大臣 三条實美(サンジョウ サネトミ)1首
従一位 中山忠能(ナカヤマ タダヤス)1首
従一位 九条道孝(クジョウ ミチタカ)1首
従一位 近衛忠煕(コノエ タダヒロ)1首
正二位 三條西季知(サンジョウニシスエトモ)1首
正二位 綾小路有長(アヤコウジ アリナガ)1首
正三位 慈光寺有仲(ジコウジ アリナカ)1首
正三位 池田茂政(イケダ モチマサ)1首
従五位 脇坂安斐(ワキサカ ヤスアヤ)1首
従六位 三田保光(ミタ ヤスミツ)1首
正七位 岡本長之(オカモト ナガユキ)1首
正七位 川村應心(カワムラ ヨウシン)1首
權代教正 本居豊穎(モトオリ トヨカイ)1首
大講義 福住正兄(フクズミ マサエ)1首

福住正兄は二宮尊徳の門下生で、萬翠楼福住の10代目主人、死後生前の功績により正五位の追贈を受けています。

また、奥の院の神殿彫刻も素敵でした。
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さらに、取材で社殿に入って驚き。社殿の中の垂れ幕に私の祖父の名前。
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私の祖父は、二宮町議会議員を長く務め、議長をしたので、晩年吾妻神社の総代もしていたのを知り、吾妻神社との不思議な縁も実感しました。

現在の総代の方もそのお父様などは私も幼少の頃から知っている方でしたし、その親族の方も私が嫁いだ先で親しくていました。

 しお風 神保智子