7月15日に第163回芥川賞、直木賞の受賞作が決定されましたが、二宮には芥川賞に四度候補、直木賞も一度候補にあがった作家が住んでいました。山川方夫です。

1944(昭和19)年8月に別荘である二宮に疎開し、戦争、敗戦の先の見えない社会と父秀峰の突然死による生活環境の変化が文学への傾倒を深め、二宮で恩師の劇作家梅田晴夫との出会いが作家への道を導きました。

代表作の一つで中学の国語の教科書にも採用された『夏の葬列』。
太平洋戦争終戦前日の夏の日、海岸の小さな町に空襲。慌てて真っ青な海みたいな芋畑の葉の中に身を隠す少年をかばった白い服の少女は、銃撃されてしまう。少年は成長し、出張帰りに夏の日の記憶を払拭するために再びその地を訪れ、衝撃的な結末を迎えます。人生の残酷さと悲しさを美しく色鮮やかに描いた作品です。

『夏の葬列』の冒頭「海岸の小さな町の駅に下りて」の町が二宮です。この作品に描かれたと想定できる場所を歩いてみました。

昭和30年代駅の下り口は南口だけなので、「アーケードのついた明るいマーケットふうの通り」は栄通り。
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「昔のままの踏切を越えると、線路に沿い、両側にやや起伏のある畑地がひろがる。〈中略〉遠くに、かすかに海の音」と描かれる線路沿いの道は、恩師梅田晴夫の家に通った道と想定されます。
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当時はさつま芋畑が広がり、じゃらんぼんと呼ばれた葬式の行列も通った道だったようです。
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この作品には実際の海の描写は描かれていませんが、芋畑を海に見立て、銃撃の場面でも芋の葉は強烈な印象を与えています。

また、二宮の特徴の夏の青い空、強い日差しも効果的に使われています。実際、山川は住んでいた海の近くの家の庭で空から銃撃を受け、白い服を着た妹をかばい、家に逃げ込んだそうです。その時の機銃掃射の跡は、今も旧山川邸の玄関入り口の大黒柱に残っています。
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まさに『夏の葬列』は、二宮がなければ存在せず、二宮は山川文学に大きな影響を与えた場所と言えます。

「しお風」 神保智子