山川方夫の文学作品には二宮を題材とする作品が多数ありますが、「最初の秋」では住んでいた屋敷、その周辺が取り上げられ、いかに山川文学に大きな影響を与えていたかがわかります。
P1202451
P1202440
昭和19年8月から戦時中の疎開先として海の一番良く見えるところと父秀峰が選んだ二宮の海岸近くに一家で住み始めました。
20200716_153821
しかし、12月には父秀峰が急逝。14歳から家長となり、家族への重責、孤独の苦悩も綴られています。

その後も東京と行き来しながら、住み続け、一時二宮から離れ、昭和39年5月に結婚して二宮に戻り、夫婦二人だけで二宮に住んでいます。しかし、その翌年昭和40年2月に二宮の横断歩道でトラックに撥ねられ、亡くなってしまいます。
短い結婚生活でしたが、山川に孤独から解放された安住を与えました。
IMG_20180121_0001
2018年に開催された山川方夫と「三田文学」展のちらしには、自宅の庭でくつろぐ山川夫妻と「最初の秋」に登場した犬も撮影された写真が使われていました。

町内の散歩も楽しんでいたようです。
「最初の秋」は冒頭から「秋の朝だ。私はいま二宮の町を歩いている。」から始まり、①郵便局、②八百屋、③薬屋、④本屋、⑤たばこ屋、⑥踏切が記述されています。散歩した当時の⑦栄通りや⑧北口通りなどの商店街は、昭和31年発行郷土誌に単一店化した大きな駅前街(78店)をなし、生活必需品、更に文化度の高い店が並んでいると記載されています。
山川が散歩した道を考えてみました。
山川文学まち散歩「最初の秋」
ご意見、情報をお寄せください。

2020年12月20日発行地域コミュニケーション紙「しお風」102便臨時増刊号からの転載。

「しお風」 神保智子